車酔いと、私。
僕は、車酔いをするタイプの人間である。
小さい頃は、1時間以上車に乗れば間違いなく酔っていた。シートが皮張りの車なんか、乗った瞬間、(まだ動いてないのに)その匂いで酔ったものである。
だから、山の方にある祖母の家に行くときも、学校のバスで遠足に行くときも、常にその不安は付きまとい憂鬱だったのであります。
5歳ぐらいの時、競馬好きの父の影響で馬好きだった僕は、その父に連れられて、わざわざ熊本から小倉の競馬場まで行きました。車で。
道中、当然ながら完全に車酔いして車内で嘔吐。本当に北九州が異国のように遠かった。
そしてなんとか満身創痍で小倉に到着。
しかし、競馬場に肝心の馬はおらず、ただ、大型ビジョンで競馬を観戦するオッサンの群れだけが、僕を出迎えてくれた。
父は知っていた。その日レースが行われないことを。(それでも父的には楽しかったんだと思う。)
あの日、ああ、僕は大人に騙されたんだなと、幼いながらに思ったものです。
しかし、そんな僕も大人になり、昔ほど車酔いしなくなってきました。普通に乗ってる分には、余程の山道とかじゃない限りだいたい大丈夫です。
ただ、車内で文字を読んだりするとダメです。酔います。
小さい頃は、新しいゲームソフトを買ってもらった帰りに我慢できず決死の覚悟でソフトの説明書読み、やはり即車酔い。家に着いてからもそのダメージでしばらくゲーム起動できず。なんてこともよくありました。
でも大人になってからもやっぱり、移動時間は本読んだり、ネットでコラム読んだりしたい訳です。
特に高速バス乗るときなんかは暇だから、読んじゃう。そして酔う。
というわけで今でも、昔ほどではないですが車酔いで気分が悪くなることはよくあります。
で、昔から車酔いしだすと喋る余裕もないので、無言で色々考える訳です。
小さい頃は、どうやったら吐かないか、なにか少しでも気が紛れることを必死に考えていました。
そう、本当に必死に、一生懸命考えるのです。無言で。
幼いころ、そんな風に何時間も無心で考え続ける機会があるでしょうか。
今ならこう思えます。あれはある種の瞑想状態だったのではないか、と。
そんな極限の瞑想をかれこれ20数年してきた訳ですが、
その極限状態の歴史の中で私がたどり着いた、乗り物の中でも酔わずに本が読める、画期的な商品を今日はご紹介したいと思います。
(車酔いしてる間は、寝るか、目を閉じて考え事するかしかないので基本的に暇です。)
まず、そもそもどうして乗り物酔いするのか。
実は、乗り物酔いの具体的な原因ははっきりとは分かっていないようです。
ただ、僕が大きな原因だと考えている、体への刺激が3つあります。
1)加速度による刺激
2)振動による刺激
3)視覚的刺激
おそらくこの3つがなくなれば車酔いする人はほとんどいなくなるのではないでしょうか。
そして、僕に限って言えば、普通に車に乗っているだけでは酔いません。
ただ、本を読むと酔います。
つまり、ここから導き出される仮説は、
僕は1)2)の刺激には耐えられる。そして3)の中でも、窓の外の流れる景色などの刺激には耐えられる。
しかし、本を読む際の、文字の振動による視覚的刺激が加わると酔ってしまう。ということです。
この、本を読む際の視覚的刺激をどうやったら抑えられるか。
要するに、本と自分の頭が固定されていて、常に同じように振動するようにしてしまえばいい訳です。
つまりこういうことです。
まず、海女さんが使うような筒状の水中メガネを用意します。
その先端に本を固定できるようにします。
筒の中には目に優しいLEDを設置して、本を明るく照らします。
本のページめくる際は、本を一度取り外します。(その時、そっと目を瞑ると酔わない。)
いつか商品化したいです。
(現在ブログの方向性を模索しております。)