サディスティックマイヤー

サディスティックマイヤー。それは、リサ・ステッグマイヤー全盛期に私が面白いと思って名乗っていたペンネームである。

田舎に泊まろう

僕の実家は熊本です。

そして祖母の家は、熊本と宮崎の県境の山の中、

かなりの田舎にあります。

コンビニなんてもちろんないし、バスも一日一往復みたいな。

 

そんな吉幾三の地元みたいな田舎ですが、

数年前、祖母が亡くなってからずっと空き家になっていました。

 

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祖母の家

 

 

で、昨年末、その空き家になっている祖母の家で一週間ほど一人暮らしをしてみたのです。

特に理由があった訳ではなく、暇だったのでなんとなく。

 

実際に住んでみてやっぱり不便は不便でしたが、たった一週間だったし、そこまで嫌になることはなかったです。

 

古い家なので、日中は家の外よりも中の方がかなり寒かったり、(もう家じゃなくて木陰の一種だと思った)

毎回大音量で鳴って時間を知らせる古時計とか、(深夜0時でも律儀に12回鳴る)

屋根裏を走るネズミの足音とか、(猫かと思うくらい音がデカい)

 

そういう田舎っぽいことも3日目には慣れました。

 

家から徒歩20分のところに村唯一のスーパーがあって、毎日そこに行って、

あとの時間はほとんど家で過ごしました。

住んでみて気づいたけど、徒歩20分のところにスーパーがあるって、その村じゃほぼ駅前ぐらいの好立地。(もちろん駅なんてないが)

どうやって生活してるんだろ、って思うような山の中にも(祖母の家も十分山)小さい集落がいくつもあることも初めて知りました。

 

あと超田舎だからどこに行くにもよそ者は目立ってしまう。

普通にスーパーで買い物しても、普通にバス乗っててもめっちゃ見られる。ジロジロ見られる。

そしてなんなら聞かれる。お前は誰だと。

 

殺人を犯した人が死体を山中に隠したみたいなニュースってよく見るけど、

ああ、こうやって足がつくのか、と思った。

 

そんな田舎で、たった一週間だけど住んでみて考えたこと。

まあ実際は元々考えていたけど、それを肌で感じたかったのかも。

 

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村にある天文台に星を見に行った

 

 

都会と地方の格差の話って、もう何年も言われてることで。

 

それを政治として考えると、地方にお金をばら撒くような話になってしまうけど、

根本的な解決の為には、地方が正々堂々とお金を稼がないといけない。

都会にない強みを生かして、人を呼ばなきゃいけない。

まあそんなことはみんなわかってる訳で。

 

でもできてないから今みたいな、都会が地方を支える的な構造になっちゃう。

地方にいたら、支えられてる自覚もないけど。

 

でも思うのだけど、

都会で働いてる人って、本当に都会で働きたいと思ってる人ばっかじゃないよね。

本当は田舎でゆっくり暮らしたいけどねーとか、

今は無理だけどいつかは田舎でーとか。

特に子育てする人は考えるんじゃないかと思う。

 

都会と比べた田舎の強みって、全くない訳じゃなくむしろ明確で。

空気が美味しいとか、人が優しいとか、生活費が安いとか。

そういう共有されてるメリットがあるのに、実際に田舎に移り住む人は少ない。なぜ。

 

特に昨今は働き方がすごく自由になってきてるから、

フリーランスノマドワーカーだったら住む場所なんかあまり関係ない気がするんだけど。

インターネットさえあればいつでも無料で世界中とテレビ電話で繋がれる時代だし。

たまに都会に出張することを考えても、田舎の方が経費も安いだろうし。

 

僕自身は、地方で生まれ育ったこともあって、田舎暮らしに憧れてる訳ではないんだけど、

田舎に住みたい都会人がいて、

それを住まわせたい田舎があるのに、

どうして実現しないのかと、前から思っていた訳です。

 

なので実際に田舎に住んでみて自分なりに考えてみた訳です。

 

田舎で働くことをリアルに想像したとき、

感じるデメリットって色々あるけど、

そのほとんどがテクノロジーでクリアになる、もしくはもうなってるものだと思うんだけど、

 

一番どうしようもないのが

人と会って受ける刺激の少なさ、だと思う。

それを今回肌で感じた。

 

単純に都会より人が少ないからってのもあるけど、

それよりも、田舎って保守的な人が多いんだよね。

田舎に生まれても、現状に満足できない人は都会に行くわけだから、残った人たちが保守的なのは当然ではあるけれど、

でもこのことが田舎に移り住む人が増えない根本的な原因になってる気がする。

 

なぜ問題か。

さっき言ったような、田舎で働ける可能性が高いフリーやノマドの人って

クリエイティブな仕事だったり、そもそもリベラルな考え方の人が多いと思う。

 

そういう人はどうしても人から刺激を受けないといけない。

インターネットによって、世界中の情報が手に入るようになって情報格差がなくなった、

都会に住めばそう思うかもしれないけれど、地方ではやっぱり格差を感じてしまう。

ネットの普及によって、逆にネットで手に入らない情報の重要性が高まってしまった。

だからこそ人と会って直接受ける刺激や情報の比重が高くなっている。

 

逆に、都会でも保守的な考えの人は

前時代的、とは言わないけど、いわゆる日本的な会社に勤めてる人が多い。

営業は足で稼ぐ、顔を合わせないと取引にならない的な。

そういう会社に勤めてる人は物理的な問題でなかなか田舎に住めない。

 

こういう、

田舎で成立する可能性のある仕事の人は、性格的に田舎に向かない。

性格的に田舎に向いている人は、仕事が田舎で成立しない。

という構図があると思う。

 

地方創成という文脈で語られることって、地方の魅力再発見的な話が多いけど、

いかに地方にリベラルな人を呼べるか、ってところに

意外に地方創成のヒントがあるんじゃないかと思う。

 

今、都会から地方に移り住んでるクリエイティブな仕事の人たちって、

なにかしら、社会派な考えを持っている人が多いと思うけど、

 

そうじゃなくて、クリエイティブなことするなら地方だよね、地方に住んだ方が刺激受けれるよね、って当たり前のように思えるような環境を作るのが大事かなと思う。

 

もし、そういう日本の成長分野が地方に集まることになれば、それはもう地方ではないし、

それって結局、日本にシリコンバレーは作れるかってことじゃない、って話なんだけど、

つまりそういうことなんだろうけど。

それなら、大きな自治体主導でやっていかなくちゃいけない、

じゃあやっぱり道州制でしょ、的な。

 

色々考えて、結局はよく聞く話にいきついたけど、

田舎に住んでみて、そういうミクロな視点から考えてもやっぱりそう思えたのが収穫だったのかな。

 

僕はまだ力もないし、まずは都会で地力を鍛えなきゃいけない気がしてるんだけど

いつかは地元に還元したいなと思っております。

 

都会に住んだら考えも変わるかもしれないけどね。

 

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